秋の空

 最近散歩がてらに撮ったものをいくつか。

 いつだったか友人が「この空が成層圏を突き抜け、宇宙にまで繋がっていることを実感させてくれるような深い蒼」というような表現をしていた記憶がありますが、この時期の晴天の空はまさにそういう感じの色合いをしていてなかなか気持ちがよいです。

「父親たちの星条旗」: 勝者にとっての「総力戦」という悲劇

 クリント・イーストウッドが日米双方の立場から描いていることで話題になっている硫黄島二部作(とここでは呼んでおきます)の第一作、「父親たちの星条旗」を観てきました。「ヒトラー 〜最後の十二日間〜」もなかなかプレッシャーのある戦争映画でしたが、本作でもかなり高い圧力が感じられます。軍ヲタ歴史ヲタの皆様方におかれましては、ぜひ本作でも「ヒトラー 〜最後の十二日間〜」同様、映画館のスクリーンと音響環境で観て、精神的にへろへろになりつつ劇場から平和な街頭によろばい出る時の感慨を味わっていただきたいと思います(何)。

 以下、ネタバレしない程度に一般論としての感想を。とはいっても歴史や軍事の知識がある方ならある程度は内容の見当がついてしまうと思うので、それでも気になるという方がいらしたら(無論、それだけで本作の魅力とインパクトが消えてしまうわけではありませんが)ご自分で観るまで無視してください。

  • アメリカにとってのWW2という「勝ち戦を戦勝国の視点から見た」作品にもかかわらず、驚くほど明るさや行け行けドンドンという雰囲気とは無縁です。むしろ作品全体のトーンとしては、ベトナム帰還兵を題材にしたものに近いのではないでしょうか。「戦争における善と悪を単純に分けるつもりはない」という趣旨のことをイーストウッドが記者会見で述べていたそうですが、本作の歴史に対するスタンスには「ヒトラー 〜最後の十二日間〜」と相通じるもの──善悪の判断を安易に下さず、戦争の多面的な側面をできる限り予断を排してそのまま扱おう、という作り手側の意志──が感じられます。そういう意味では、本作は戦争映画の範疇に入る作品ではありますが、アクション映画のようなエンターテインメントとして観ると期待外れに終わるでしょう。むしろドキュメンタリーに近いのではないかと思います(原作となった作品はノンフィクションのようですが、こちらは未読です)。
  • そもそも本作が出るはるか以前から、アメリカ人にとって「硫黄島」は特別な感慨を呼ぶ地名であったようです。硫黄島強襲揚陸艦の艦名にもなっていますし(イオー・ジマ級およびワスプ級の7番艦)、アーリントン墓地にある硫黄島メモリアルも有名です。一方で、WW2において太平洋で数々の島嶼戦を闘い、特に戦争末期にはそのほぼ全てにおいて玉砕した経験を持つ日本人にとっては、硫黄島もそうした多くの戦場の一つにすぎません(硫黄島で戦った方々や関係者にとっては別でしょうが、少なくとも一般的な国民の意識においてはそのような認識でしょう)。では、なぜ彼らはこの僻遠の孤島にそれほどの思い入れを持つのか?という点に今ひとつ実感を持てなかったのですが、本作を観て彼らの硫黄島に対する思い入れの一端がわかったような気がします。彼らにとっての硫黄島の戦いを我が国の戦史に強引に当てはめてみるならば、日露戦争における二百三高地の戦いがそれに該当するのではないでしょうか。少なくとも、強力な陣地と火力に守られた重要拠点をおびただしい犠牲を払った末に攻略し、勝利を得た戦局の転換点という認識はかなり共通するのではないかと思います。
  • 軍隊生活や戦闘の描写はかなり綿密な取材と考証をしているようで、(中途半端な)軍ヲタの視点からは特におかしい点は見あたりませんでした。なお、死傷者の描写については一部露骨なシーンもあるので、未見の方はそれなりに覚悟されてから見に行くのがよいでしょう。そういった側面も含めて、戦争──とりわけ、20世紀的な「総力戦」という形態のそれ──の酷薄さをよく描いている作品です。本作のメインテーマの一つである「銃後」の国民や官僚と最前線の将兵との意識の隔たりは、まさに悲劇と言うべきものでしょう。
  • 硫黄島はWW2でも有数の激戦地でしたが、なぜ戦闘が長期化し激戦地たり得たのか?という点を考えると、最大の要因は本作の戦場描写でもわかる通り、「日本軍がとことん『弱者の戦い』に徹した」ことにあるのではないかと思います(どういう戦い方をしていたのかは戦史に興味のある方ならある程度推測がつくでしょうが、ネタバレの関係からここでは伏せます)。「弱者の戦い」とは何かということについては、かみぽこさんという方が今年のサッカーW杯に関連して興味深い考察をされていらっしゃるので、そちらをご覧ください。
  • こうなると、なぜ日本軍があのように「弱者の戦い」を戦い得たかということが気になります。映像作品としては硫黄島二部作後編の「硫黄島からの手紙」に期待することになると思いますが(こちらにも字幕がつけばよいのですが、劇場予告編を見る限り望み薄そうなのが残念です)、書籍としても硫黄島の戦闘や栗林中将に関するノンフィクション作品はいくつか出ているので、そのうち手にとってみようと思います。

かもされてきました



 ぶどう先生のお誘いにより、日本酒の会なるものに行ってみました。菊姫酒造という蔵元のお酒を複数種類飲み比べというマニアックな企画です。

 私は体質的に醸造酒に弱く、大量に飲むと悪酔いしてしまうということもあり、お酒はもっぱら蒸留酒(グラッパ・ウィスキー・焼酎・泡盛薬草系リキュール)なのですが、ぶどう先生と一緒にご飯を食べているといつも非常に美味しい日本酒を頼んでらっしゃるので、実は内心羨ましい思いをしていなかったといえば嘘になります。なのでお誘いがかかった時には日本酒の勉強のチャンスだ!と思って喜んで飛びつきました。

 当初は同一蔵元から6種類出ると聞いていたのですが、当日現地に行ってびっくり。なんと9種類ものお酒(うち4種は同じ銘柄の原酒と熟成させたものの比較)のリストが……!ちょっと待ってください先生、これ何ていうもやしもんですか(w

 並べてみると以下の通りになります。

  1. 鶴の里(限定純米酒)
  2. 山廃吟醸原酒(若い熟成させていないもの)
  3. 山廃吟醸(15度くらいの気温の貯蔵庫で2,3年ほどタンクに入れ熟成させたもの)
  4. 山廃純米(熟成)
  5. 山廃純米 飲み切り原酒
  6. 大吟醸 平成十七年
  7. 大吟醸(熟成)
  8. 金劔

 どれも水準以上に美味しいお酒だったのですが、個性豊かなお酒が揃っているため、逆にクセのないお酒はレベルが高くても印象的には埋没しがちというちょっぴりせつないイベントでもありました。

 今回出ていたお酒は、大まかに言うと三つの系統に分けられると思います(あくまでも日本酒初心者が独断と偏見で勝手に分類しているので、日本酒愛好家や詳しい方は多少おかしい点があっても大目に見てやってくださいませ)。

 まず万人受けしやすそうな、香りと味、強さのバランスがとれた完成度の高いお酒。鶴の里や山廃純米(熟成)、大吟醸(熟成)は香りがよく、弱すぎず強すぎずで飲みやすいという絶妙のバランスを達成しているのですが、突出した個性がないだけに影が薄かった気がします。

 次に吟醸酒吟醸酒は、特に熟成の進んだもの(山廃吟醸)は独特の華やかな芳香があり、口にすると強い香りが立ってくるのですが、どこかチーズのような独特な匂いも感じられます。なので人によって好き嫌いが分かれるかもしれません。好きな人は徹底してハマり、好きでない人は敬遠しがちになりそうだなと思いました。醸造酒でも蒸留酒でも、お酒は熟成によってまろやかになり香りが増しますが、熟成で出る香りの性質は醸造酒と蒸留酒では異なる、という例かもしれません(蒸留酒だと熟成中の発酵という要素はないので)。ただ、熟成の進んでいない若めの吟醸酒(大吟醸 平成十七年)の場合、しっかりと香りが立っている反面でチーズのような匂いはまったく感じられないので、吟醸酒は若めのお酒の方が芳香の「いいとこ取り」をするには向いているかもしれません。

 そして最後に原酒系。冷やして飲むと日本酒ならではの華やかな香りは抑えめになり、むしろグラッパにも通じるような力強さが感じられます。が、蒸留酒の原酒と違うのは、強さ(パンチ)がちょうどいい感じで収まっていて、適度に強いけど強すぎはしないという点でしょう。料理にも合いますし、単品でちょびちょび飲んでもよさそうな感じです。ぬるくなって室温に近くなるとむしろ香りの華やかさが前面に出てきますが、発酵による独得の匂いはしないので、これも非常に飲みやすいことに変わりはありません。蒸留酒が好きな人には、こういう原酒系は自信をもって勧められそうです。菊姫の原酒は限定品らしいので入手しにくいのが難点でしょうけれど……。ちなみに山廃純米の飲み切り原酒は結構人気があり、終盤になっておかわりする人が続出し、一升瓶が空になっていました。もしかすると今回一番人気のあった銘柄かもしれません。

 ……という感じで飲み比べてきました。和食系の料理も絶品ぞろいで、周りもお酒好きの人ばかりなので楽しくお話ができ、とても素晴らしい会でした。唯一問題があるとすれば、週末にこういうイベントをたっぷり堪能してしまうと、週明けに現実に引き戻されるのが憂鬱になることくらいでしょうか(おいおい)。

 何はともあれ主催者・参加者の皆様、お疲れさまでした。

接客という「技術(アルテ)」:全方位対応のサービス

 「全てのスタッフが何をするにも的確にきびきびと動いてくれる」と書きましたが、今回の滞在では随所で山の上のスタッフの水際だった仕事ぶりを目のあたりにし、その職業人としての意識と練度の高さに非常に感銘を受けました。「素晴らしい」と思った対応のケースをいくつか書いてみることにします。

・客室のEthernet対応

 ネットワーク対応を謳っているホテルが増えていますが、実際には「とりあえずネットワーク対応のためにEtherの口を設置したのはいいものの、部屋のレイアウトとEther口への作業スペースからのアクセスを考慮しておらず、客にとっては使い勝手が悪い」というケースも少なくないようです。しかし山の上ホテルの場合、客が部屋に求める使い勝手とは何かということをよく把握しているなと感じました。

 泊まる前にまず気になったのは、「部屋にEhterの口があるといっても、実際にそこから作業スペース(備え付けデスク)までどのくらいあるのか?」という点でした。口があってもケーブルの長さが足りず、旅装を解いて寛いでいたのもつかの間、結局はあわてて外に買いに走る羽目になった……などということにでもなれば目の当てようもありません。
 その点が心配になったので、宿泊前にメールで問い合わせたところ、ホテルの方で5mほどの長さのケーブルを用意してあるそうで、実際にこれでベッド脇のEther口からデスクまで余裕をもってケーブルを設営できました(ベッドの下を通し、壁際を這わせ、デスクの奥からコネクタを出してノートのEthernetポートに繋ぐのに充分な長さがありました)。

・携帯メールの対応

 私の場合、耳が悪く電話は使えないので、事前にメールで携帯電話のメールアドレスと、ホテルからの連絡があれば携帯にメールしてほしいということ、滞在中のこちらからの連絡には携帯メールを使う可能性もあるという旨を伝えておいたのですが、これは正解でした。

 メールの場合、伝達に即時性があるとは限らず、メールを出しても相手がそれを読んでくれるまでの「間」というものがどうしても生じます。その点、フロントのスタッフがまめにメールをチェックし、その都度必要な対応をしてくれているのだなと実感できたのが昼食にルームサービスを頼んだ時のことでした。その時は読書に集中したいので部屋から出るのがもったいなく、フロントに携帯メールを送り、実際のメール送信時刻から少々余裕をもった時刻を指定した上でルームサービスのオーダーを出したのですが、少ししてフロントから「承りました」と返信メールをもらい、最初に頼んだ時刻どおりにボーイさんが部屋まで昼食を届けてきてくれました。単にフロントの対応が早いだけでなく、フロント、レストランの厨房、ボーイさんとホテルのフロントエンドからバックエンドまで一連の流れがきっちりと動いている様子も感じられ、非常に好印象がもてました。

 また、何も言わずともデフォルトで事前に申し合わせたとおりの方法で連絡してくれる点も高感度が高かったです。滞在中の都内は非常に暑く、予想外に汗をかいてしまったので着替えが足りなくなる可能性が出てきました。そこでランドリーサービスに洗濯物を出したのですが、依頼した時には「仕上がったらこういう方法で連絡してください」ということは特に伝えていませんでした。しかし、実際には洗濯物が仕上がった時点でフロントから携帯にメールで連絡してくれ、「夕食から戻る時にフロントで直接受け取ります」と返事したところ、その通りに服をフロントで渡してくれたのには感心しました。

・レストランのサービング

 新館のフレンチレストランでディナーコースを頼んだときも惚れ惚れするような対応ぶりを見せてもらいました。
 入店し一言も発せずにパンツのポケットからメモ帳とペンを取り出した段階で、即座にフロアマネジャーとおぼしき男性が注文取り用に使っているメモパッドとペンを渡してくれたのにまず驚愕。そのまま筆談での相談とオーダーに入りました。その後、注文を済ませて食事に入り、少しほど経過した時点で先ほどの男性が一枚の紙をテーブルの上に置いてくれたのですが、そこに綺麗なフォントでプリントアウトされていたのはコースの品目リストでした。最後のトドメがデザートで、可憐なウェイトレスさんがデザートワゴンを押してきたのですが、同時にお菓子の品目の手書きメモも渡してくれ、「盛り合わせや量の調節もできます」ということもしっかりと明確に伝えてくれました。筆者が甘い物好きということもあり、しばし迷ったあとに食べたいお菓子の組み合わせで盛り合わせをオーダーしたことは言うまでもありません。
 もちろん、何度か通って顔なじみになったお店でも同様の対応をしてくれるのですが、これまで店を訪問したことのない初対面の客に対してもここまで的確に応えてくれるお店を見たのは初めてでした。

・総括

 総じて接客レベルは非常に高く、筆談や携帯メールで対応してもらう場合はどうしてもやりとりに一定の時間はかかりますが、それでも普通の客に対し口頭で伝達する場合に比べてサービスレベルはまったく落ちていないのではないか、と感じさせてくれるものがあります。上記に上げた例はほんの一端にすぎず、同様の水際だった対応は滞在中に何度も経験しました。私のようにやや特殊な客が来ても的確にニーズを把握し、即座に適切な対応を返してくるレスポンスの良さには目を見張らされます。

 小さいホテルだからこそここまでレベルの高いスタッフを揃えられるのでしょうが、そのおかげで安心してリラックスして滞在できました。下手に大資本の新しく設備が豪華な高級ホテルに泊まるよりも、はるかに安心感と満足度は高いと思います。

 最後に。こういう素晴らしい場所を教えてくれた如星師匠と、神のごとき練度を見せてくれたホテルスタッフに心からの感謝を:)

かつて在りしものの面影:古き良き「昭和」の残照

 昨年4月に社会塵にジョブチェンジして以来、一年半ほど慣れない新天地での研修やら仕事やらでずっと働きづめだったので、現在配属されているプロジェクトが一段落したこともあり、まとめて休暇取得。早めの夏休みと相成りました。

 ……さて、この時間をどう過ごすべきか。家でだらだらしていても気分転換にはならないし、かといって旅行などしようにも普段から面倒くさがりの出不精の身、旅のノウハウや観光地知識なんぞの持ち合わせもありません。よしんばあったとしても旅支度の時間もなし、純粋に力を抜いて一人っきりでぼへらーっとする時間が欲しいなあ、ということで本を買い込んでホテルに籠もることに決定。

 宿は如星師匠のお薦めで山の上ホテルに。最近はWeb予約などという便利なものもあるので、Web経由で速攻予約を入れ、職場のボスや関係者には「実家に帰らせていただきます」メールを出しつつ仕事を整理。その傍ら、滞在前からネットワーク接続や電源利用などいくつかの事柄について問い合わせのメールを出したのですが、全ての要望についてフロントからいちいち丁寧で的確なレスポンスが返ってきて、いやが上にも期待が高まります。そう、まさにワクテカAAを貼りたくなるくらいです。貼りませんが。

 肝心のホテル自体は都心のど真ん中のさらに明治大学キャンパスエリア内という立地なのに(むしろ大学キャンパスに囲まれているからでしょうか)、緑が多く落ち着いた雰囲気の丘の上に小さい建物が二軒という作りになっています。神保町の書店街まで徒歩で坂を下ってわずか3-4分というのも人によってはたまらない立地といえるでしょう。建てられたのは昭和十二年というひときわクラシカルな本館に腰を落ち着け、まずは真っ先に電源とEthernetケーブルの設営。後はひたすらぼけーっと本を読んで過ごし、館内のレストラン群やルームサービスで飲食欲も満たそうという寸法です。

 建物は戦前に作られたアールデコ調の建築ということもあり、照明や壁の細工などインテリアの随所に懐かしさとモダンさの入り交じった雰囲気があります。たしかに古いといえば古いのですが、メンテナンスが行き届いているせいか(そしてスタッフや客に愛されているのか)、塗装のひび割れや内装の傷、壁の汚れといったどうしても避けられない古さが「欠点」ではなく、むしろ骨董のように愛すべき「味」として感じられます。「古色蒼然」という表現はややオーバーかつネガティブな気もしますが、この建物に関しては褒め言葉ととるべきでしょう。むろん、個室の水回りや空調などの設備はきちんと比較的新しいものを入れていて、まったく問題なしに使えます。

 スタッフはフロントからドアボーイに至るまで出しゃばらず、しかし要望のある時やヘルプが必要なときには常にこちらが惚れ惚れするほどの的確な対応をしてくれる上、コーヒーパーラーやレストランはいずれもこぢんまりとしていながらも料理の質やサービングのレベルは粒揃いの店ばかり。うむなるほど、こりゃ文士の缶詰ホテルとして定評があるわけだわ……と深く納得しつつ、ホテルに籠もりきりの数日間を過ごしました。

 むしろそういう環境で「ARIA」の9巻を読んで藍華ちゃんの可愛さに悶絶したり、「夢幻紳士(冒険活劇編)」の3巻で昭和ロマンに浸りつつも1-2巻に比べますますヒートアップしているおバカさと萌え要素てんこ盛りの展開に大笑いしたり、IRCで友人から進められた澁澤龍彦のエッセイ集をこっそりと読んでいたり、MacFace For Winのハルヒ版を導入して喜んでいる宿泊客の方がダメであるともいえます。まあ、ダメ人間ライフを送るのが目的だったので当の本人としては何の問題も感じてはいないのですが。

 総じて非常に魅力的なホテルだったのですが、山の上ホテルの魅力の源泉は以下の三点に集約できるのではないでしょうか。

 一つは建物自体の醸し出す空間の魅力。1937年、第二次大戦が本格的に始まる直前に建てられた建物は、戦前の昭和日本にあったモダンな雰囲気の一端を感じさせてくれます。ホテルの中でじっと佇んでいると、何とはなしに遠い昔の今とは異なる豊かさのあった時代──あるいはその「豊かさ」も幻影なのかもしれませんが──の残照を浴びているような気がしてきます。その一方で、スタッフがWebや電子メール経由で対応してくれたり、全ての部屋でIP Connectivityが提供されていたりと、今の時代ならではの利便性もさりげない形で提供してくれます。

 そしてもう一つはスタッフの質の高さ。ホテルのフロントからドアボーイ、飲食店のウェイターやウェイトレスといった全てのスタッフが何をするにも的確にきびきびと動いてくれる情景は、接していて非常に気持ちのよいものがあります。そういうサービスの良さや、人であれ、機械であれ、システムであれ「動くべきものが的確にきちんと動いてくれている状態」に価値を見いだす人にとっては非常に楽しく過ごせる環境でしょう。

 最後に、飲食店のレベルが粒揃いであること。美味しいものを食べて機嫌の悪くなる人はいないでしょうし、ずっとホテルの中で過ごしていても様々な店の雰囲気やレパートリーの広い料理を楽しめるので、「ホテルの中で全てが完結している」状態を実現しているといえます。ホテル泊まりにもいろいろと目的はあるでしょうが、「ある程度の期間をとってのんびりと過ごしたい」場合、この点はかなり評価の高いポイントになります。

 ともあれ、ホテルという場所の魅力をまざまざと認識させられた数日間でした。……いかん、クセになってしまいそうだ。どうしよう。

中長期のスパンと短期のスパン: 生存における優位と劣位

 如星師匠が「他者からの好意をどのように獲得するか」という話題で興味深い話を書いていたので、その話への反応として中長期のスパンと短期のスパンということについてつらつら思っていることを書いてみます(この文章単体では何のことかわからないだろうと思うので、時間と興味のある向きはまず元の文章をお読み下さい)。

 断っておくと、私の場合恋愛経験は皆無と言ってよいです。しかし、周囲からの好意を獲得しつつ(あるいは自らに向けられる敵意を回避・減殺しつつ)、自分の周りの主体との一定の関係性を構築することはどのような個人・組織・民族・国家であっても求められることです。いかにして他者からの攻撃による我が身の破滅を避けつつ、他者と一定の安定した関係を築き、その関係からどのようにして自己の生存と繁栄という結果を引き出すか──ひとえに安全保障や外交と呼ばれるものの要諦はそこにある、と言い切ってもよいかもしれません。そういう意味では、他者からの好意(たとえそれが打算によるものであっても)をどうやって引き出して安定した関係性を構築するかという問題は、個人どうしの恋愛に限らず、個人から国家までのさまざまな規模の主体にとっての生存上の問題ともいえます。

 そして、先述の如星師匠の分析にあるように「お互い短期利益など考えずに『何となく』の好意を応酬し、過去分からの収穫と再投資が回っている状態。かつ過去実績が今後の長期リターンも信じさせてくれる」という風に、当面のことは心配せず中長期のスパンで自らの生存を考えていけばいい状態はとても楽──とまではいいませんが、「日々算盤勘定やら関係崩壊リスク管理やらに勤しむことになる」短期スパンでの生存をまず最優先に考えなければならない状態に比べると非常に有利といえます。ただし、「当面(短期スパン)の生存は保障されており、中長期のスパンでものごとを考えていけばいい」という立場にまでたどり着くには相応の余裕、つまり手元資金が要ります。

 たとえば近代史でいうと、「中長期のスパンで考えればよいケース」として19世紀後半〜20世紀の西欧の列強諸国、「短期スパンでの生存をまず考えなければならないケース」として1860年代から1900年代初頭までの日本を挙げてもいいかもしれません。かたや中世を経てルネサンス期から「地理上の大発見」時代、そして産業革命に至るまでの数百年間に着実に富を拡大し、市場をベースにした効率的な社会組織を作り出し、並ぶもののない経済力・軍事力を築き上げた植民地帝国群と、かたやこれから国民国家を建設し、近代化を始めようという新参の国。
 この両者では国力や国際的な地位の差は明らかですが、ある時点でのひとつひとつの決断の結果の重みもまた違ってきます。たとえば英仏などが既に国家としての独立を揺るぎないものとし、少々の失敗では強国の地位を脅かされないだけの蓄積を既に持っていたのに対し、新参者で余裕のない日本の場合、当面の独立の維持そのものが最大の国家目標でしたし、台湾出兵朝鮮出兵日清戦争日露戦争とひとつひとつの事件や戦役が、それ一つの失敗だけで国家の生存を揺るがしかねない重大な出来事でした。

 やや苦しい比喩ですが、「既に相当有力で実績もあるチームが長距離ラリーを走ってともかく先頭集団に入っていればよい」立場と、「実績のないランナーが毎日毎日短距離走を全力でこなし、一回でもタイムが悪くなれば即座に出場する権利がなくなる」立場と言えばよいでしょうか。時期や状況は違いますが、同じようなことは建国直後の段階のイスラエルにも言えるでしょう。イスラエル国防軍の姿を描いた「ツァハール」という映画がありますが(映画評は例えばこれ)、建国後数回に及んだ中東戦争の一つ一つがイスラエルにとっては「負けたらそこで終わり」の戦であり、それ故にイスラエルは躍起になって国を挙げて自前の軍事力確保に邁進してきました(軍事技術史に興味のある人なら、同国の執念をよく示す例としてイスラエルの戦車開発の歴史を見てみるとよいかもしれません。建国前後の自前の軍事技術はおろか産業基盤すらない状況から西側の中古戦車をかき集めて改造して使い続け、最後には建国からわずか30年で自前の主力戦車を生産・運用するに至るまでの経緯は、ある種鬼気迫るものすら感じさせます)。

 足下がおぼつかない、あるいは元手がないために短期スパンでの生存をまず考えなければならないケースの場合、一回でも判断を誤れば、それは即座に破局につながりかねません。そういう立場から見ると、反対に少々のミスや損失、非効率があってもそれを楽に吸収できるようなバッファを持ち、長期のスパンでじっくりとリスクとリターンを考えられるという立場は、ときには持てる者特有の許しがたい贅沢にすら映ります。個人であれ民族であれ、あるいは国家であれ、そういう生存のためのバッファを持たないか、持ちたくとも持てずに日々を怯えながら過ごさざるを得ない立場──「弱者」とはそういう状態をこそいうのかもしれません。

 では「弱者」がその立場から脱却するにはどうするか。月並みですが、少しずつ自前の実績なり能力なりを築いていき、同時にそうやって築いてきたものが覆される事態を極力回避するしかないでしょう。その結果としてある程度の蓄積(バッファ)ができてこそ、初めて中長期的なリスクとリターンを考えられるようになってきます。そういう意味では、中長期のスパンで生存を考えるというあり方は「むしろ手法というより到達点に近い気配もあり、目標として掲げる」べきものだという提言はやはり妥当であるといえます。これまた月並みな結論ではありますが。

[写真] 或る週末の一日



 友人夫婦の結婚式という慶事にかこつけ、あちこち移動し遊びまくる。

  • 00:40ごろ着弾(ぎりぎりまで仕事のため拘束されていた)。
  • 03:00ころ就寝。
  • 07:00ころ起床。軽く燃料補給し身支度。蒸し暑いが慶事なのであえてスーツにタイ着用。一応防暑衣として薄手の麻と綿の混紡のシャツなぞを装備。これが意外と効果があった。
  • 08:30ころ出撃。
  • 式場(天王洲)着。暑いので横着して最寄り駅から会場までタクシーで直行。到着後、列席者の証明書に記帳などしつつ友人連と挨拶。開始間際の土壇場に2-3名でよってたかって他人のタイを締めてみる演習などというイベントが発生するも、皆つつがなく式に臨む。新郎新婦の家族+友人連など総勢30名ほどのこぢんまりとした和やかな式。
  • 契約儀式開始。クリスチャン風に賛美歌斉唱や宣誓、指輪交換など。一時間ほどで終了。
  • 式場のホールにて新郎新婦のお披露目および臨時写真撮影会開催ののち、再度新郎新婦の挨拶があり解散。
  • 解散後、久々に帝都を来訪中の友人T氏を連れて品川駅方面に。DEAN&DELUCA(食料品店)を冷やかしてみた後に駅前のバールに突撃。歓談しつつ、もふもふとランチを食する。二人ともスーツ着用でさっぱりしたものを欲しがっていたのか、注文したジェラートの種類がかぶる(パイナップルヨーグルト)という椿事も発生。
  • T氏と共に青山方面に転進。
  • 青山の茶店にて夏の臨時茶腹祭開催(参加人数2名)。
  • ひとしきり茶を堪能した後、T氏は新婚夫婦の新居襲撃に向かい、自分は髪を切りに行く(出不精なので、どうせならと同じ日に用事を設定した)。再会を約しつつ別れる。
  • すっきりと伐採終了。
  • 馴染みの菓子店に寄り、祖母の誕生日祝いに菓子の詰め合わせを送ってもらう算段をする。青山霊園を眺めて抹茶をすすりつつIRCに浮上。第二次新居襲撃隊の出撃手順および夜戦作戦要領(要するに突発夕飯オフ)について相談。
  • 菓子店から新居方面に出撃。
  • 新居着。先着のT氏も含め家庭内IRC大会に。新婦の人形コレクションを目のあたりにし、その可憐さと美しさに驚嘆。なぜか筆者が筋トレに励んでいたという新郎からの未確認情報も。
  • 新郎新婦とT氏を含め、総員で夜の部に出撃。
  • 新宿のバールにて急遽到着した増援組と合流。ワインを呷り、酒肴をつつきながら騒ぐ(写真)。
  • 二次会会場の独逸料理店に移動。今度は肉宴に。
  • 二次会増援組到着。半屋外のテラスにて気温の急低下に震えつつ、北の国からやってきた人と初顔合わせ。
  • 二次会解散。解散後、大雨の中一部の面子で喫茶店に避難するも雨勢の衰える気配なし。
  • 23時過ぎに豪雨の中を歩いて帰り着弾。IRCで挨拶した後風呂に入り、入浴後ひとしきり感想戦などに興じる。
  • 26時過ぎ就寝。

総括:ついかっとなってやった。でも後悔はしていない。参加者の皆様お疲れさまでした。

 冗談はさておき、ひとえに新郎新婦の人徳のお陰で午前中も夜もいろいろな人たちが集まり、和やかに楽しく過ごせました。改めてお祝いを申し上げるとともに、今後の幸多からんことを祈ります。