中長期のスパンと短期のスパン: 生存における優位と劣位

 如星師匠が「他者からの好意をどのように獲得するか」という話題で興味深い話を書いていたので、その話への反応として中長期のスパンと短期のスパンということについてつらつら思っていることを書いてみます(この文章単体では何のことかわからないだろうと思うので、時間と興味のある向きはまず元の文章をお読み下さい)。

 断っておくと、私の場合恋愛経験は皆無と言ってよいです。しかし、周囲からの好意を獲得しつつ(あるいは自らに向けられる敵意を回避・減殺しつつ)、自分の周りの主体との一定の関係性を構築することはどのような個人・組織・民族・国家であっても求められることです。いかにして他者からの攻撃による我が身の破滅を避けつつ、他者と一定の安定した関係を築き、その関係からどのようにして自己の生存と繁栄という結果を引き出すか──ひとえに安全保障や外交と呼ばれるものの要諦はそこにある、と言い切ってもよいかもしれません。そういう意味では、他者からの好意(たとえそれが打算によるものであっても)をどうやって引き出して安定した関係性を構築するかという問題は、個人どうしの恋愛に限らず、個人から国家までのさまざまな規模の主体にとっての生存上の問題ともいえます。

 そして、先述の如星師匠の分析にあるように「お互い短期利益など考えずに『何となく』の好意を応酬し、過去分からの収穫と再投資が回っている状態。かつ過去実績が今後の長期リターンも信じさせてくれる」という風に、当面のことは心配せず中長期のスパンで自らの生存を考えていけばいい状態はとても楽──とまではいいませんが、「日々算盤勘定やら関係崩壊リスク管理やらに勤しむことになる」短期スパンでの生存をまず最優先に考えなければならない状態に比べると非常に有利といえます。ただし、「当面(短期スパン)の生存は保障されており、中長期のスパンでものごとを考えていけばいい」という立場にまでたどり着くには相応の余裕、つまり手元資金が要ります。

 たとえば近代史でいうと、「中長期のスパンで考えればよいケース」として19世紀後半〜20世紀の西欧の列強諸国、「短期スパンでの生存をまず考えなければならないケース」として1860年代から1900年代初頭までの日本を挙げてもいいかもしれません。かたや中世を経てルネサンス期から「地理上の大発見」時代、そして産業革命に至るまでの数百年間に着実に富を拡大し、市場をベースにした効率的な社会組織を作り出し、並ぶもののない経済力・軍事力を築き上げた植民地帝国群と、かたやこれから国民国家を建設し、近代化を始めようという新参の国。
 この両者では国力や国際的な地位の差は明らかですが、ある時点でのひとつひとつの決断の結果の重みもまた違ってきます。たとえば英仏などが既に国家としての独立を揺るぎないものとし、少々の失敗では強国の地位を脅かされないだけの蓄積を既に持っていたのに対し、新参者で余裕のない日本の場合、当面の独立の維持そのものが最大の国家目標でしたし、台湾出兵朝鮮出兵日清戦争日露戦争とひとつひとつの事件や戦役が、それ一つの失敗だけで国家の生存を揺るがしかねない重大な出来事でした。

 やや苦しい比喩ですが、「既に相当有力で実績もあるチームが長距離ラリーを走ってともかく先頭集団に入っていればよい」立場と、「実績のないランナーが毎日毎日短距離走を全力でこなし、一回でもタイムが悪くなれば即座に出場する権利がなくなる」立場と言えばよいでしょうか。時期や状況は違いますが、同じようなことは建国直後の段階のイスラエルにも言えるでしょう。イスラエル国防軍の姿を描いた「ツァハール」という映画がありますが(映画評は例えばこれ)、建国後数回に及んだ中東戦争の一つ一つがイスラエルにとっては「負けたらそこで終わり」の戦であり、それ故にイスラエルは躍起になって国を挙げて自前の軍事力確保に邁進してきました(軍事技術史に興味のある人なら、同国の執念をよく示す例としてイスラエルの戦車開発の歴史を見てみるとよいかもしれません。建国前後の自前の軍事技術はおろか産業基盤すらない状況から西側の中古戦車をかき集めて改造して使い続け、最後には建国からわずか30年で自前の主力戦車を生産・運用するに至るまでの経緯は、ある種鬼気迫るものすら感じさせます)。

 足下がおぼつかない、あるいは元手がないために短期スパンでの生存をまず考えなければならないケースの場合、一回でも判断を誤れば、それは即座に破局につながりかねません。そういう立場から見ると、反対に少々のミスや損失、非効率があってもそれを楽に吸収できるようなバッファを持ち、長期のスパンでじっくりとリスクとリターンを考えられるという立場は、ときには持てる者特有の許しがたい贅沢にすら映ります。個人であれ民族であれ、あるいは国家であれ、そういう生存のためのバッファを持たないか、持ちたくとも持てずに日々を怯えながら過ごさざるを得ない立場──「弱者」とはそういう状態をこそいうのかもしれません。

 では「弱者」がその立場から脱却するにはどうするか。月並みですが、少しずつ自前の実績なり能力なりを築いていき、同時にそうやって築いてきたものが覆される事態を極力回避するしかないでしょう。その結果としてある程度の蓄積(バッファ)ができてこそ、初めて中長期的なリスクとリターンを考えられるようになってきます。そういう意味では、中長期のスパンで生存を考えるというあり方は「むしろ手法というより到達点に近い気配もあり、目標として掲げる」べきものだという提言はやはり妥当であるといえます。これまた月並みな結論ではありますが。