大澤武男 「ローマ教皇とナチス」

 第二次大戦期の教皇ピウス12世(本名エウジェニオ・パチェリ)がなぜナチスホロコーストに対し沈黙したのか、ということを教皇自身の生い立ちや当時の国際情勢、教会内事情などから探っている本です。
 本書では、ヴァティカンの沈黙の要因として下記のいくつかの事情をあげています。

  • 第三帝国領内でのローマ・カトリック教会の地位保障を定めたナチス・ドイツと教会との政教条約(コンコルダート)の存在。
  • 無神論を唱え、宗教勢力を排除する共産主義の台頭に対する教会と教皇の強い危機感。ナチスは強力な「反共の防波堤」として無視できなかった。
  • 教会の大使としてドイツに長年駐在したピウス12世のドイツとドイツ人に対する強い好感。
  • ピウス12世の個人的な性格。穏やかで知的な教会法学者であり外交官であったが、あくまで理想や信条を押し通すようなことはせず、受動的な面があった。

 この他に、西欧世界に共通する気質としてのユダヤ嫌いと、19世紀-20世紀に人口に膾炙した科学の装いをこらした人種論の台頭といった要因がヴァティカンのみならず米英を含む西欧世界全体をしてユダヤ人虐殺を黙認させた、という結論を出しています。

 本書を読んで感じたのは、西欧世界におけるローマ教会の影響力は未だに根強いものがあるということです。特に第一次大戦の要因の一つとなったのがセルビアとヴァティカンの間に結ばれたコンコルダートであり、それにセルビア領内のカトリック教会に対する統制権を失うオーストリアが反発したことである、というくだりは初耳でした。ヴァティカンの思惑が国際政治を動かす、という話は日本人からすると塩野七生さんが描く中世やルネサンス時代の出来事のように感じられますが、欧州の人々にとっては古色蒼然たる昔話ではなく、極めてリアリティのある話なのかもしれません。