オンラインコミュニケーションを受容する文化

 たこさんがちょっと書いている(ぼやいている?)ので反応してみる。
 たこさんの言いたいことはよく分かります。ただ、多分この話の本当の論点は環境やインフラの有無やその水準ではなくて、「文化」ではないのかと思います(それを松村さんもたこさんも明示的に書いていないだけであって)。確かにインフラ整備の充実度とかアプリケーションの利用可能性とか、単なる技術的指標だけで見るなら、一般的なSFC生が普通に使っているレベルの環境は昨今珍しくもないでしょう。
 最近強く思っているのは、単に「何か」(この場合は無線ネットワークとメッセンジャ)が使えるインフラがあるかどうか、ということと、その上で積極的に「何か」を使おうとする「文化」がそのコミュニティ*1にあるか、ということの間にはマリアナ海溝よりも深い溝があるんじゃないかということです。
 インフラが整備されていることを至極あたりまえの前提として、Web日記やメッセンジャなどのオンラインコミュニケーション手段を自然に、日常的に使っている。さらに、そういう文化がごく特殊な個人のライフスタイルというにとどまらずキャンパス全体で共有されている、という場所はなかなかないのではないでしょうか。慶應内部でさえ、SFCにあるうちの研究室から矢上のCSCWをやっている研究室に移籍した先輩が深刻なカルチャーショックを受けたという話を聞いたことがあります。
 そういうふうに情報インフラの存在を前提とした「文化」が醸成されている、という意味ではSFCにもまだまだ一日の長があるのではないか、と思っています(もちろん、10年か20年くらいすればそういう文化が特殊なものではまったくなく、普遍的なものになっている可能性はあります)。誤解を避けるために言うと、「井の中の蛙」的な特権意識とはまったく別に、肌身で感じた事実としてそう思っている、ということです。
 オンラインコミュニケーションに対して積極的な文化から多大な恩恵を受けていて、またそういう文化に依存している身としてはかなり残念なんですけどね。早いところ、文化的にもこういう感覚が当たり前になってくれればだいぶ楽なんですが……。

追記:これを書いたあとでふと気になり、たこさんとちょっと話してみたら、たこさんも文化的な面は意識していたらしい。あと、97年ごろの筑波大学の某サークルでも似たような文化はあったし、そのころから筑波朝日奈アンテナという学内アンテナもあったということを教えてもらいました。ただ、やはりオンラインコミュニケーションに対しては大学/大学生の方が積極的なのが現状ではないかと思います(企業に比べて)。

*1:学校でも組織でもいいけど